■ まつの寺・芳春院 |
「大徳寺」 |
京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山。 開山は1315年。そののち花園・後醍醐両帝の厚い外護をうけ、発展した。 足利義満の時代、幕府から冷遇され五山からはずされる。権勢に密着して世俗化し坐禅を捨てて漢詩文や学問の世界に沈潜した五山の禅を鋭く批判し、みずからは兀々(ごつごつ)と坐禅一道に徹し、当時の禅宗界に独自の立場をうちたてた。 応仁の乱で炎上し、一時期寺勢が衰退したが一休宗純(=一休さん)によって再興される。また村田珠光は、侘茶の創始にあたって一休に参禅し、これ以後、茶人の大徳寺禅への傾倒が盛んになった。 千利休が山門の上に「金毛閣」を造り、自分の木像を置いたために、秀吉の怒りに触れ切腹を命じられたという話は有名。また、秀吉が信長の葬儀を営み、寺領を寄進し保護したので、諸大名が競って塔頭(たっちゅう)を建立した。 白壁の掘に囲まれた中には24もの塔頭がある。それぞれに枯山水の庭園や由緒ある茶室など室町から江戸時代にわたる多くの文化財を持つ。 しかし常時拝観が可能な寺は、龍源院・瑞峯院・大仙院・高桐院のわずか4院。 |
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